常温核融合:未完の炎が灯した夢と検証の35年

人類未完プロジェクト事典「常温核融合」

常温核融合。

その名を聞いたことはあるでしょうか。

これはその名の通り、室温に近い条件で「核融合のような現象」が起きるとされた研究です。

1989年、ユタ大学で発表されたこの成果は「エネルギー革命の幕開け」と世界中で報じられました。
ですが、追試がうまくいかず、再現性がないことが明らかになります。
副産物であるはずの中性子やヘリウムも十分に検出されず、
発表は「性急すぎた科学スキャンダル」と呼ばれるようになりました。

さて、この記事では、手のひらの実験セルから立ちのぼる熱に未来を夢見た研究者たちの姿と、
なぜその夢が頓挫したのか、
そして「未完の炎」がいまもどのように受け継がれているのかを辿ります。

※記事の後半に用語解説の章も設けています

1989年3月23日、ユタ大学の記者会見。
フラスコの向こうで重水が静かに熱を帯び、研究室は期待と興奮に包まれた。
世界は一瞬、未来のエネルギーの足音を聞いた気がした。
それなのに……

目次

常温核融合とは?

常温核融合をひとことでいうならば、
室温に近い条件で「核融合のような現象」が起きたとする主張の総称です。

1989年のフライシュマン&ポンズ発表で世界的騒動となりましたが、
その後の追試で決定的な再現が得られず、主流科学の結論は「証拠不十分」に落ち着いています。

さらに具体的にいうならば。

1989年春、電気化学者マーティン・フライシュマンとスタンリー・ポンズは、
重水(D₂O)中でパラジウム電極を電解すると、核反応に由来するとみられる過剰熱が生じたと発表しました。

これを皮切りに世界中で追試と議論が噴出し、
「Cold Fusion(常温核融合)」という言葉が独り歩きし始めました。

ですが、その後の大規模な検証で再現性の不足測定上の問題が指摘され、
米エネルギー省(DOE)や各研究機関は「決定的証拠なし」と結論づけることとなります。

これは2004年の再レビューでも、この評価は覆っていません。

余談:「Cold Fusion」なのに、なぜ「常温核融合」と訳されるのか?

まず、物理学的に「核融合」と言えば、数千万度の超高温プラズマを必要とします。
太陽の中心や水爆のような環境ですね。とにかく、超高温。

それに比べると、「Cold Fusion」は「そんな高温じゃない核融合」という意味合いで使われています。
つまり「Hot Fusion(高温核融合)」の対比語としての「Cold」です。

さて、これがなぜ「常温」という日本語に訳されたのでしょうか。

それは、実験が行われたのは室温(常温)近辺の実験室だったからです。
加熱炉もレーザーも使わず、机の上の電解装置で現象が観測されたと主張されました。

そのため、日本語では「冷たい」というよりは
「日常的な温度での核融合」というニュアンスを強調して、
「常温核融合」と呼ばれるようになったのです。

日本語に直訳すると「冷たい核融合」となりますが、
これだと正しいニュアンスが伝わらなくなってしまいますしね…。

※実は、日本語の「常温」と完全同義語となる英語はないそうです。

  • room temperature(室温)
    → もっとも近い表現。「ふつうの部屋の温度」を意味します。
    科学論文でも「実験はroom temperatureで行った」と書かれます。
  • ambient temperature(周囲温度)
    → 周囲の環境に依存する温度という意味で、工学系ではよく使われます。
  • normal temperature
    → 文脈によっては「常温」と訳されますが、科学英語ではあまり一般的ではありません。

常温核融合によってどんな未来像が描かれていたのか

常温核融合はどのような未来を私たちに描かさせたでしょうか。
それは、

ほぼ無尽蔵でクリーンなエネルギーが都市・産業・交通を静かに安く、そして脱炭素で動かす世界でした。

家庭の給湯器や発電機は手のひらサイズ、排気筒は不要。
病院やデータセンターも、海水から取り出した重水を燃料に静かに動き続ける。

「核の火を湯沸かし器に閉じ込める」という比喩が新聞に躍りました。
理科室のガラス器具でエネルギー革命が起きるかもしれない、と…。

なぜ常温核融合計画は未完に終わったのか

結論からいうと、
科学の基礎である再現性と核反応の証拠となる核生成物との整合性が示せず、
さらに測定・手順・理論の弱さが重なったためです。

さらに掘り下げてみます。

第一の壁:再現性の欠如
世界中で追試が行われましたが、同じ条件で同じ結果が得られませんでした。
これは「同じレシピで料理しているのに、毎回味がまったく違ってしまう」ような状態です。
熱を測る器具の誤差や、装置の中にできた泡や温度のムラ、化学反応の見落としなどが、
熱が本当より多く出ているように見せかけていた可能性があります。

第二の壁:核生成物との矛盾
もし重水素どうしが本当にくっついて熱を出していたなら、
「副産物」として中性子やヘリウムなどが決まった割合で生まれるはずでした。
ところが実際に観測されたのは自然界に普通にあるレベルとほとんど区別がつかないほど微量で、
熱とのつながりも見つかりませんでした。
つまり「煙は立っているのに、肝心の火が見えない」状態だったのです。

第三の壁:理論の不在
原子核は同じ正の電気を帯びているため、磁石のN極とN極のように強く反発し合います。
この見えない壁(クーロン障壁)を室温でどう乗り越えるのか、納得できる説明は出されませんでした。
さらに、きちんと論文で検証する前に記者会見を開いてしまったことや、
詳しいデータを十分に共有しなかったことが、研究者仲間からの信頼を失う原因となりました。

その後の影響、そして現在は?

公式評価は否定的ですが、計測・材料・水素吸蔵の研究は続いています。

2019年にはGoogle主導の厳密な再検証が「決定的証拠なし」と報告。
日本ではクリーンプラネットや三浦工業などが「新しい水素エネルギー」を掲げましたが、
学術的合意には至っていません。

1990年代〜2000年代:評価の固定化と細流の研究

1989年のDOE最終報告は特別枠の研究資金創設を推奨せず、個別提案は通常の査読で扱う方針を明示。

2004年のDOE再レビューも「決定的証拠はない」という基調を維持しつつ、
良設計の個別研究は査読検討可としました。

2010年代:厳密な再検証と異常現象への視線

2019年、
Google支援の複数機関連携プロジェクトが高水準の追試を実施しましたが、
実用レベルの過剰熱は再現できませんでした。

一方で、材料表面と水素の相互作用に関する興味深い異常が整理され、
材料科学の課題が浮き彫りになりました。

日本の動き(クリーンプラネット・トヨタ&三浦工業)

  • クリーンプラネット
    東北大学等と「量子水素エネルギー」を掲げ、三浦工業と産業ボイラー応用に向けた共同開発を公表。
    現時点で第三者査読で広く認められた商用エビデンスは限定的で、独立検証査読論文の蓄積が鍵。
  • トヨタ(豊田中央研究所)
    三菱重工の重水素ガス透過による元素変換(Cs→Pr)に関連する計測研究を 
    Japanese Journal of Applied Physics(2013, DOI: 10.7567/JJAP.52.107301)に報告。
    これはエネルギー化ではなく現象検証寄りの研究です。

将来的に、常温核融合の実用化はありえるか?

結論からいうと、実用化の合意はないだろうとのことです。
というのも、再現性・核生成物・理論の整合が未解決だからです。

常温核融合はタブーだと言われています。
その背景には、査読前の記者会見と社会的過熱がありました。

これにより審査は厳格化され、採択や資金配分のハードルは上がってしまいました。
しかし研究自体が禁じられているわけではありません。

DOE2004は個別提案の査読を認め、2019年には高水準の再検証も行われています。
ゆえに、「嘘か真か?」で断ずるより、
「未完プロジェクト」として検証を続けるのが科学的態度なのかもしれません。

年表(主な流れ)

  1. 1989-03-23:ユタ大学が記者会見(フライシュマン&ポンズ)。大学公式プレスリリース公開。
  2. 1989-03末〜04:世界各地で追試開始、メディアが過熱。
  3. 1989-04:S.E. Jones らが Nature に小規模な中性子観測のレターを掲載。
  4. 1989-05:米物理学会(APS)バルティモア会合で追試報告が相次ぎ、否定・非再現が優勢に。
  5. 1989-08:米DOE(ERAB)中間報告:証拠不十分
  6. 1989-08:カルテック(Lewis ら)が Nature に再現失敗を報告。
  7. 1989-11:DOE最終報告:特別プログラムは非推奨、個別提案は通常査読へ。
  8. 1990:CERNプレプリント(Morrison)など、否定的レビューが続く。
  9. 1991:オランダ ECN/DIFFER の詳細追試報告が公刊。
  10. 1993:NSF/EPRI ワークショップの公式プロシーディング刊行。
  11. 2004-12:DOEがLENR再レビュー:決定的証拠なし(ただし個別査読は可)。
  12. 2013:豊田中央研究所が元素変換関連の計測研究を Japanese Journal of Applied Physics に報告。
  13. 2019:Google支援の再検証が Nature に掲載。実用レベルの過剰熱は再現できず
  14. 2019–2021:クリーンプラネット×三浦工業がボイラー応用の共同開発を発表(公開エビデンスは限定的)。

FAQ

常温核融合は本当に起こったのか?

主流の結論は「証拠不十分」。
決定的な再現がなく、核生成物との整合も示されていない。

なぜ「事件」化されてしまったの?

記者会見が査読を先行し、データ共有が不十分なまま報道が過熱してしまったため。
しかし、追試で再現が乏しく、評価が急速に冷え込んだ。

実用化はいつ?

見通しは立っていない。
商用段階に進む前提条件(再現性・核生成物・理論)が満たされていないため。

常温核融合というのは、結局は嘘だったのでは?

科学的には「未確認」が妥当。誤差や手順差、理論不整合が主な論点。

研究はタブー視されているのでは?

タブーではない。
DOEは個別提案の査読を認め、2019年には大規模再検証も実施。
ただし採択・資金のハードルは高い。

日本企業の現状は?(クリーンプラネット・トヨタ・三浦工業)

研究・共同開発・計測報告はあるが、商用レベルの第三者エビデンスは限定的。
今後は独立検証が鍵。

2004年のDOEレビューは肯定?

否。 決定的証拠は認めず、特別プログラムは推奨しない。
ただし良設計の個別研究は査読検討可とした。

2019年のGoogle主導再検証は成功?

実用レベルの過剰熱の再現には至らず。 
ただし材料・界面に関する興味深い異常が整理された。

LENRと常温核融合は同じ?

 重なるが同一ではない。 用語は広く、核反応主張から材料異常の探索まで幅がある。

危険性(放射線)は?

初期主張の規模の核反応が本当に起きていれば明瞭な放射線が出るはずだが、報告の多くは背景レベル
なお、実験は放射線安全規範に従うべきである。

家庭で再現できる?キットは安全?

推奨できない。 電解・可燃ガス・薬品・電気・潜在的放射線の複合リスクがある。
適切な設備と管理下でのみ実施すべき。

代替の核融合で世界を変える路線は?

高温核融合(トカマク・慣性核融合など)が主流。
時間はかかるが国際プロジェクトが進行中。
常温核融合は「未完の可能性」として残る。

用語解説

常温核融合(Cold Fusion)

室温近辺で核融合のような現象が起きたとする主張のこと。
「部屋の温度でも核反応っぽいことが起きたかも」みたいな感じ。

※英語の「Cold」は「超高温に比べて冷たい」という意味。
一方、日本語の「常温」は「普通の室温レベル」を強調している。
つまり、どちらも「高温でない」というニュアンスを表しているため、
このように訳されている。

LENR(Low Energy Nuclear Reactions)

低エネルギー核反応の総称。常温核融合を含む広い呼称。
常温核融合を含む「広い呼び名」という感じ。

過剰熱(Excess Heat)

化学反応で説明できる以上に観測される余分な熱のこと。

カロリメトリー

熱の出入りを測る方法のこと。
→どれだけ熱が出入りしたかを測る、こと。

重水(D₂O)

重水素でできた水。ふつうの水より少し重い水。

パラジウム水素化物(PdDₓ / PdHₓ)

パラジウム格子に水素(重水素)が入り込んだ状態。
ようするに、スポンジのように水素を抱え込んだ金属。

d–d 融合

重水素同士の核融合のこと。
(重い水素どうしがくっつく)

核生成物(n, T, He)

核反応の痕跡となる粒子・元素(中性子・三重水素・ヘリウム)のこと。
つまりは「核反応が起きた証拠」となるもの。

クーロン障壁

正電荷同士の反発による「壁」。
簡単いうなら、「プラスとプラスが押し合って近づけない壁」。

背景放射線

自然界に常時ある放射線のこと。
つまり、もともと周りにある、うっすらした放射線のこと。

電解セル

電極と電解液を収めた器のこと。(=電気分解をする入れ物)

再現性

同じ手順で同じ結果が得られること。
※この「常温核融合」はこれができなかった、ということ。

ERAB(DOE Energy Research Advisory Board)

1989年のDOE助言委員会パネル。(アメリカ政府の専門家チェックチーム)

APS(American Physical Society)

米物理学会のこと。

高温核融合

トカマクや慣性核融合などの主流路線。
つまり、とても高い温度で進める本命の核融合研究のこと。

まとめ

常温核融合は「再現されていない希望」として科学史に刻まれました。
同時に材料科学と計測の難題を照らし続ける灯でもあるかもしれません。

もし1989年の約束が現実になっていたなら?

エネルギー地政学も気候危機の速度も違っていたかもしれません。
ですが、科学を前に進めるのは、願いではなくあくまでも「再現」です。

今回の未完の夢は、拙速な断定を戒め、データ・方法・理論の三本柱で問い直す勇気を私たちに残しました。

次に語られるべきは、夢の大きさではなく、その確からしさでしょう。

出典・参考

  • DOE(米国エネルギー省)1989 最終報告:Cold Fusion Research – Final Report of the Cold Fusion Panel (DOE/S-0073)(1989年11月)
  • DOE 2004 再レビュー:Report of the Review of Low Energy Nuclear Reactions(2004年12月)。公式PDF(公開写し)
  • ユタ大学 1989 プレスリリース:記者会見当日の公式資料(PDF)
  • Nature(1989):S.E. Jones ほか「Observation of cold nuclear fusion in condensed matter」。
  • Nature(1989):N.S. Lewis ほか「Searches for low-temperature nuclear fusion of deuterium in palladium」
  • 理論検討(1989):S.E. Koonin & M. Nauenberg「Calculated fusion rates in isotopic hydrogen molecules」。Nature 339, 690
  • CERN プレプリント(1990):D.R.O. Morrison「Review of cold fusion」。
  • NSF/EPRI(1989開催/1993刊):Anomalous Effects in Deuterated Metals(会議プロシーディング)。
  • ECN/DIFFER レポート(1991):REPORT ON COLD FUSION EXPERIMENTS
  • Google支援の再検証(2019, Nature):C.P. Berlinguette ほか「Revisiting the cold case of cold fusion」。
  • 豊田中央研究所(2013, JJAP):元素変換関連の計測研究(DOI: 10.7567/JJAP.52.107301)。DOI/掲載情報
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