2027年。もし一つの企業、あるいはごく少数の企業の売上規模が、一国の国家予算、しかも一般会計と肩を並べる水準に達したとしたら、何が起きるだろうか。
世界がその瞬間に音を立てて反転することは、さすがにないだろう。なぜなら、歴史を振り返っても、構造が変わるときほど、表面は静かだからだ。そうして、気づいたときには、意思決定の重心が、ほんの少し別の場所に移っているのだ。いつもそうだった。
話の入口として、今引き合いに出すなら、「韓国の半導体大手2社の売上合計が、日本の国家予算(一般会計)の規模感に近づく、あるいは上回る可能性がある」という予測だろう。
だが、ここで問うべきなのは、その予測が当たるか外れるかという占いの話ではない。仮に、このスケールが現実味を帯びたとき、何が引き金となり、どんな連鎖が起き、どこから私たちの生活に染み出してくるのか。
その過程を、構造として眺めてみようと思う。
正直に言えば、私自身も最初に見出しを見たときは、「もうそこまで来たのか」と驚いた。改めて政府の公開資料や企業の決算、信頼できる報道を一つずつ当たりながら整理してみた。すると、面白くなってくるのは、数字の大きさそのものではない。むしろ、数字が動かしていく順番だった。
ここから先に描くのは、その順番をたどるための、仮想の地図である。
主権は奪われない。ただ、変わるだけだ。
国家予算は巨大だ。
ただし、その巨大さにははっきりした性格がある。教育、社会保障、インフラ、防衛など。社会の土台を維持するために、細かく区分され、広く配分される。そこには必ず合意が必要だが、その合意には時間がかかる。しかし、それは無駄でも欠陥でもなく、民主主義が背負っているコストそのものだ。
一方で、企業の売上やキャッシュフローは、仮に同じ規模の水準に達したとしても、使われ方の設計がまったく違う。次の工場、次の研究、次の買収、次の人材獲得に、集中的に投じることができる。議会で折り合いを探る前に、取締役会で決まる。
ここで起きるのは、法律が一夜にして書き換わるような革命ではない。「未来を押し広げる予算」を、誰が先に動かせるか。国家?企業?その順番が、いつの間にか入れ替わっていく。
順番が変わると、国家と企業の関係は、対立というよりも追随に近づいていくだろう。税制も、規制も、補助金も、教育政策も、企業の投資計画を後追いするかたちになりやすいのではないか。国境より先に、投資計画が動く。主権が奪われるというより、主権が「働く場所」を少しずつ移していく感覚に近いかもしれない。
この感覚には、実は歴史的な前例がある。それが東インド会社だ。そう、かつて、会社が国家のような顔をしていた時代があったのだ。
もっとも、現代版は軍隊や通貨ではない。研究開発と供給網を軸にして起きる。会社型国家という言い方よりも、国家が企業の時間軸に合わせざるを得なくなる時代、と表現したほうが実態に近いだろう。
計算資源が、安全保障の言葉になる
生成AIの時代に入ってから、石油が比喩として頻繁に持ち出されるようになった。単なる重要資源という意味ではなく、供給を押さえること自体が戦略になる、という含みでだ。
石油が近代産業の燃料だったとすれば、AIは計算で動く。その計算の中核にあるのがGPUであり、GPUを成立させているのが高性能メモリだ。象徴的な存在として語られるのがHBMである。
仮に、高性能メモリが慢性的に不足し、供給できる企業が限られた状態が続いたとしよう。
そこで起きるのは、単なる価格高騰ではない。「いつ、どれだけ確保できるのか」が、企業にとっても国家にとっても、戦略の前提条件になっていく。
この段階で、お金の性格が少し変わっていく。現金があっても手に入らないものがある世界では、現金そのものよりも「すでに確保されている供給枠」のほうが力を持つからだ。銀行口座の残高より、来年確実に納品される重要部材の割当のほうが、将来の競争力を担保する。そんな局面が現れるだろう。
この仮想シナリオの中では、HBMは通貨のように扱われる未来になることを予想している、というわけだ。
いや、もちろん、法的に通貨になるわけではない。ただ、実務の感覚としてはそれに近い役割を果たすのではないか。実際の供給枠が価値を持つようになれば、配分権を握る側は、単なる供給者ではなく「調整者」に近い立場になっていく。結果、数字以上に、発言力が増すわけだ。
日韓は「競争」より先に「共生」でつながる
「韓国企業が国家予算級に稼ぐ」と聞くと、日本の敗北物語として受け取られがちだ。だが、半導体の現場はそんな単純な勝ち負けでできていない。完成品であるメモリを作る側と、それを作るための装置や素材を握る側は、構造的に互いを必要としている。競争の前に、相互依存があるからだ。
仮に、メモリ企業が需要増を見越して増産に踏み切り、設備投資を一気に加速させる局面を考えてみる。
工場を建てるには、装置と素材が不可欠だ。その中には、日本企業が強い分野が少なくない。素材も同様で、代替が簡単に効かない領域がある。結果として、韓国側の売上が伸びるほど、日本側の特定領域にも需要が波及する、という構図が生まれる。
この構図は、奪い合いよりも「止めにくい相互依存」を強めていく。政治の空気が冷え込んでも、供給網としては簡単に切り離せない。国境をまたいで、一本の産業回廊が形成される。大げさに言えば、新しいシリコン・ロードだ。派手な看板はないが、物流と契約が黙々と道をつないでいくのだ。
もっとも、この関係は無条件に安定しているわけではない。日本側が再び「輸出規制」などのような手段を前面に出さない限り、という前提が付く。供給網が武器として使われた瞬間、共生は一転して不信に変わる。相互依存は強みでもあるが、同時に、壊れやすい均衡の上に成り立っているのだ。
日本の中に、二つの景気が生まれる
話は一気に、生活の足元に近づく。
半導体への巨額投資は、産業地図だけでなく、景気の地図も塗り替える。工場が建つ場所、関連企業が集まる場所、研究開発拠点が置かれる場所…‥そうした地点だけ、景気の温度が明らかに変わっていくだろう。熊本や北海道(千歳周辺)の名前が頻繁に挙がるのは、その変化が目に見えやすい象徴だからだ。
仮にこの流れが2027年に向けて加速すれば、同じ国の中に「別の景気」が同時に存在することになる。
半導体エンジニアや関連業種の賃金は上がり、住宅や地価が動き、外食やサービスの価格もつられて上昇する。一方で、その波が届かない地域はこれまでと同じ悩みを抱え続ける。
厄介なのは、こうした変化が国全体の統計では見えにくい点だ。「日本の平均」という数字では説明できない変化が、先に現場で起きる。ニュースの見出しよりも早く、家賃や人材市場に表れていく。
2028年の崖は、崩壊ではなく前提の切り替えとして来る
ここまで読むと、2027年がピークで、2028年に大崩壊が来るのではないか?そう思いたくなる人もいるかもしれない。だが現実は、おそらくもっと中途半端だ。崩壊するというより、前提が入れ替わる。
仮に、世界中で増産投資が進み、供給力が増えていけば、価格交渉力は変わる。利益率は圧縮される。さらに言えば、AIの作り方そのものが変われば、必要な部材も変わる。巨大モデルを作る競争が一段落し、効率重視へ軸足が移れば、求められる性能や組み合わせも動くだろう。
この仮想シナリオにおける2028年は、「すべてが終わる年」ではなく、「勝ち方が変わる年」だ。勝っていた企業が突然負けるというより、勝っていたルールがいつの間にか書き換わる。ニュースの熱量だけで追うと、いちばん読み違えやすいのは、この局面かもしれない。
まとめ
「国家予算級の売上」を企業が手にする、という仮定はたしかに派手だ。だが、ここで見せたいのは派手さそのものではない。その規模が現実味を帯びたときに、動くであろう構造のほうである。
国家の強さは、もはや軍事力や人口だけでは測れない。計算資源をどれだけ、どの確度で確保できるか。これらもじわじわと影響してくるだろう。企業の力もまた、売上の大きさ以上に、決断の速さや供給枠を押さえる力として現れる。
日本と韓国の関係は、勝ち負けの物語より先に、供給網としてのつながりに引き寄せられる。国内に目を向ければ、一枚岩ではなく、投資が当たった地点に景気が走り出す。
未来を断定するつもりはない。ただ、こうした構造を一度頭に入れておくと、次に同じニュースに触れたとき、見出しの奥にある動きが、少しだけ立体的に見えてくる気がする。
